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歴史の残像=特別区をまざまざと   財政総務委員会行政視察

 9月の4日と5日、財政総務委員会の行政視察で、東京の特別区の現状や課題をいろいろ伺ってきました。

 日本共産党大阪市会議員団は、1週間以内に報告書を議長に提出するということにしています。だいぶ遅れてしまいましたが、やっと完成し提出しました。長いものですが、印象に残ったことなどをまとめました。よろしければご笑覧下さい。

2019年度大阪市会財政総務委員会 行政視察報告書

日本共産党大阪市会議員団  山中智子

 

  1. 日程  2019年9月4日(水)~5日(木)
  2. 視察先と視察項目
    • 財政調整制度の運用実態と区の財政について(板橋区役所)
    • 財政調整制度の運用実態と区の財政について(千代田区役所)
    • 清掃一部事務組合の概要について(東京23区清掃一部事務組合)
    • 特別区人事・厚生事務組合の概要について(特別区人事・厚生事務組合)
    • 財政調整制度の概要について(特別区長会事務局)
  1. 視察内容と考察

4月の議員選挙と、無理やり同時選となった知事・市長選挙を経て、大阪では、2015年に実施した大阪市を廃止すべきか否かを問う住民投票が、来秋にも再び実施される可能性が高まっている。そういうなかで、今回、財政総務委員会の視察は、東京における都区制度について、財政調整制度と一部事務組合に絞って視察を行った。

以下、それぞれの項目について、内容と考察を報告する。

[財政調整制度について]

2つの特別区役所(板橋区・千代田区)と特別区長会事務局で、財政調整制度についてお話を伺った。制度のもつ問題点は学び、議論もしてきたつもりだが、財政調整交付金が多い板橋区(30年度は23区中6番目に多い)と、少ない千代田区(30年度は3番目に少ない)双方の財政担当者の生の声は、予想をはるかに上回るインパクトがあった。

事前に事務局を通じて、

  • 財政状況と課題
  • 突発的な事業などへの予算対応方法
  • 都区財政調整制度に対しての区の考え
  • 平成19年度三位一体改革の際、都と特別区の主張がぶつかったが、その決着についてどう受け止めているか
  • 大阪の制度設計案で設置がうたわれている「第三者機関」について、必要性を感じるか

といった質問が両区に届いており、両区とも、一般的な制度解説ではなく、これらの質問に率直に答えることを重視して下さり、ありがたかった。

板橋区の小林緑政策経営部財政課長は、「財政状況と課題」について、日ごろの思いを吐露するように、

・千代田区や港区など中心区との格差が大きすぎる。民生費が6割を占める板橋区の現状を訴え、財政調整にそういう点を反映することを望んでも、中心区の要望とはぶつかりまとまらない。23区がまとまらなければ“強い都”と渡り合えないので、根本のところは黙っている。

・結果、財政が硬直化し、必要な施設の更新が困難になるし、産業振興への投資も進まない。中心区は国や都の投資もあって開発が進むが、周辺区は産業振興等に投資する財源は出てこない。

・課題も多い制度ではあるが、都区財政調整制度ではなく、国の地方交付金を受けると想定すると、都区財政調整の交付金の方が多いだろう。やはり、都の財源があるからこそ出来ること。逆に、大阪はその財源はどこから持ってくるのか聞きたいと思っていた。

・(地域の実情を踏まえた板橋区独自の住民サービスはあるか?との質問に答えて)中心区はともかく、周辺区はそんなこと出来ない。横並びである。

など、お話しくださった。区財政の窮屈さとともに、大阪の制度設計への率直な疑問が飛び出したが、当然の疑問だと思った。

一方で、千代田区の中田治子政策経営部参事は、

・都区財政調整制度は、さまざまな歴史からたどりついたものでせめぎあいの歴史。そもそも区の権限が制限され、決して都と対等ではないなかで、「権限をいただく」という立場でやってきた。

・千代田区にとっては、財政調整制度は頼れるものではない。45:55の配分について「何を積んで都が45なのか内訳がわからない」状況や、年度によって変動はあるものの、市町村の基幹税目である固定資産税、法人住民税約3000億円を都にもっていかれ、31億円(?)しか戻らない状況である。千代田区は、千代田市となり、千代田だけでやりたい。そうすれば、85万人の昼間人口に対するサービスや、老朽化する大規模インフラの更新などがもっと出来る。しかし、長い歴史のなかで23区の仲間でもあり、“二重外交”という感じだ。

・昼間人口の多い千代田・港など中心区は、財政調整に昼間人口を反映させてほしいと考えるが、23区の中では少数派であり、こうした要望ははねられてしまう。

・千代田区も自主財源の豊かさだけで財政を運営しているわけではなく、委託等で職員を削減するとともに、PTA研修などの事業の廃止・休止・見直しをするなどの経費削減を行ってきた。同時に、23区一律だったNTTなどの地中埋設物の使用料について、地価を反映したものへの見直しをかちとり、使用料・手数料収入が60億円を超えるようになるなど、歳出抑制、歳入確保につとめてきた。そういうなかで、千代田区は子ども費を増やし、学童クラブの設置や充実などの独自のサービスを行い、人口が3万人台から61,269人(昼間人口は853,068人)へと増えている。

以上のように、財政調整交付金の多寡という点では対照的で、財政状況や課題も大きく異なる板橋区と千代田区が、財政調整制度に共通の問題を感じていることがわかる。そして、そのことは特別区長会事務局でお話を伺って、いっそう整理できたのではないだろうか。

第一に、財政調整の配分割合という最も肝心な点で、都が45%とする内訳問題は解決していない(ブラックボックスである)、と両区でも特別区長会事務局でも、全員の方が言われた。特別区側が求める45%の根拠を都は示さない。かつて3回、都が行っている事務のうち市町村事務は何か、と分析したが、都の主張と区側の主張にズレがあり、決着をみていない。

この問題について、志賀特別区長会事務局は、大阪の制度設計は事務事業を分けたうえでの財源配分なのでうらやましい、と言われた。専門家に限らず、市民のなかでもそういう解釈・理解があり得るということを心にとめておく必要があろう。

第二に、特別区長会事務局では、この財政調整制度について、「取り合いが宿命」だと言われた。たとえば、今般、児童福祉法改正で特別区に設置可能となった児童相談所の運営経費など、特別区側が財政調整に反映させるべきだとする事務を、都は言を左右にして財政調整には反映させない。こうした争い・議論が果てしなく続く、都と特別区の「取り合い」がある。

同時に、昼間人口への対応(中心区)や社会保障需要への対応(周辺区)など、特別区の意見がバラバラな条件を財政調整制度に反映させることはできず、大きな配分の変更がないなかで、結局、特別区同士でも「取り合い」にならざるを得ない。

第三に、大阪の制度設計案で、東京の特別区制度より優れたものとして、また前回のバージョンアップと称して、財政調整で府と特別区がもめた時の「第三者委員会」が盛り込まれているが、その必要性については両区とも、「まず23区の主張が一致しないので、第三者機関があっても、おりあえないだろう」などと、完全に必要性を否定された。

第四に、両区でも特別区長会事務局でも、「いずれも交付団体である大阪府と大阪市で、この財政調整制度をめざすことをどう見るか」という、他団体に質問するのはいかがなものか、とも思われる質問が出た。千代田区の中田参事は「イメージできない」と言われ、特別区長会事務局では「区に配れるだけの財源が確保できるか」だと言われた。

第五に、特別区長会事務局では、「この制度のメリットは、大都市地域としての一体性であり、デメリットは、自治体としての独自性をもてないこと」といわれた。大阪市廃止・分割推進派の言う「地域の特性をいかしたサービス」「ニア・イズ・ベター」は完全に破綻しているとしか言いようがない。

[一部事務組合について]

  • 東京二十三区清掃一部事務組合

大阪の制度設計案では、廃棄物処理は特別区の事務とし、すでに設置されている広域組合に特別区が参加するというものになっており、清掃の一部事務組合の説明聴取は参考にならない気がして、あまり興がわかないというのが事前の正直な気持ちだった。

しかし、清掃事業の移管は、都の内部団体にまで成り下がった特別区が、自治権拡充に取り組み、一つの画期となったH12年の「都区制度改革」の象徴のようなものであるとともに、その後の曲折が示唆にとんだものでもあり、大変興味深くお話を伺った。

従来、ごみの収集・運搬・処理・処分は都が行ってきたが、自治権をめぐる運動の中で「住民に身近な廃棄物処理さえ出来ない基礎自治体はありえない」とする国の意向もあり、H12年に特別区に移管された。そして、ごみの収集・運搬は各区で実施することとなったが、焼却などの中間処理は、施設がない区もあることなどから一部事務組合を設置し、共同処理することとなった。

当時は、近い将来の自区内処理を掲げ、焼却施設のない特別区は建設し、H17年度中にはこの一部事務組合は解散するという計画だったとのこと。私自身、ちょうど都区制度改革の頃に、豊島区が新設した豊島清掃工場の視察に伺った記憶があるが、そのように移管にあわせて新設した区や、それ以降に設置した区もある。

しかし、中心区の用地確保の困難さに加え、その後のゴミ量の減少などもあり、現在は自区内処理にはこだわっておられないようだ。

それには、20年近く一部事務組合で実施してきて、工場のある区とない区の負担感の差や、区の独自性が発揮できないことや区の細かな要望には応えられない、というデメリットはあるものの、建て替えやメンテナンスで2~3工場運転を停止しても補完しあえる、工場数が多く複数のプラントメーカーと関わるので、特定のメーカーの言いなりになることがない、などなどのメリットも多く、当初の一部事務組合の解散という課題は、手放しておられるように拝聴した。

本市を含め、廃棄物処理を単独で行ってきた団体が、ごみ減量への対応や効率的な施設整備という観点から、広域的な処理に移行し、新たに一部事務組合を設立する時代である。東京二十三区清掃一部事務組合が培ってきた廃棄物の中間処理という、きわめて住民に身近であるとともに、施設の存在が住民にとって必ずしも歓迎すべきものではないゆえに、施設のある、なしの負担感の差が大きい事業を、どう共同処理するのかというノウハウは、おおいに学ぶべきものがあるのではないか。

  • 人事・厚生事務組合

同組合は、S25年の地方公務員法の交付により義務付けられた人事委員会を共同処理するためにS26年に設立された。当初の名称は「人事事務組合」である。その後、生活保護法に基づく更生施設等の設置・管理を共同で行うことになり「人事・厚生事務組合」に変更された。いずれにしても、介護保険から情報システム管理、民間の児童養護施設や生活保護施設の設置認可、指導、助成、さらには、公立の福祉施設、市民利用施設、斎場、霊園の管理等にいたるまで、府が欲しがらず、特別区に分けることのできない事務をすべてぶちこむ大阪の一部事務組合とはまったく異なる限定的なものであることを申し添えておきたい。

同組合の副管理者であり、特別区長会事務局長でもある志賀徳壽氏は冒頭の挨拶で「組合は、自治権拡充の歴史なくして語れない」とおっしゃった。そして、「一定結実したH12年の都区制度改革から20年経つが、いまだにさまざまな課題がある」と、自治権獲得がいまだ道半ばであることを強調された。私なども「半分自治」「半人前の自治体」と表現しているし、特別区が特別に権限の制限された自治体であることは認識しているが、長年にわたって特別区側で生き抜いてこられた方のこうした課題の提起は、あらためて重く受け止めた。

人事に関して、一部事務組合で行うことのメリットは、やはりスケールメリットとのこと。幼稚園や保護施設など採用数の少ない職種の採用や訴訟への対応には23区という規模が必要であるし、採用や給与などの条件を各区バラバラに行えば、人気の偏りが必ず出る。さらに、国や政令市と併願する人も多いなかで、特別区を選んでもらい質の高い職員を確保することは、バラバラでは無理だ、とのことだった。一方のデメリットは、給与や昇進などを統一した基準で行わざるを得ず、各区の自由度が制限されることとのことだった。

メリットは一体性からくるスケールメリットであり、デメリットは各区横並びであること。財政調整であれ、一部事務組合での事務であれ、結局これにつきるし、それは当然なのだろうと思う。

人事だけでさえ、メリット・デメリットのバランスをとりながら運営されているのに、大阪の制度設計の膨大な一部事務組合を、いったいどう運営しようと考えているのか。また、東京でさえ、特別区がバラバラに採用等を行えば、職員を確保できない、と断言しておられるのに、大阪の制度設計案では、各特別区となっている。給与も各区バラバラということになれば、いったいどんなことが起きるのか。職員が確保できないような事態に陥ったとき、住民にかかる計り知れない迷惑の責任はいったい誰がとるのか。東京のお話を伺えば伺うほど、現実を見ず、“副首都にふさわしい”とか“広域機能の一元化”とか“ニア・イズ・ベター”などとお題目をとなえ続けることの無責任さに気づいてほしいという思いがこみあげた。

今回の視察で、「せめぎあいの歴史」「バランスをとるのが難しい」「妥協の産物」「二重外交」といった表現を何度も聞いた。戦中に「帝都防衛」と称して強行されて以来の長い歴史があるからこそ、このせめぎあいながら、バランスをとり、苦労して妥協の産物を生み出す歩みを止めるわけにはいかないということだ。

戦後74年間、自治権拡充の運動を永永と行ってなお、一般市にも満たない権限しかない特別区。それぞれが一般市となり連携、協力していく、という望ましい方向性をもったものの、国も都も認めるはずがない。結局、この都区制度のもとで、少しでも自治権拡充、権限や財源の確保、都との対等の関係確立を求め続けるという現実的な対応に苦労しておられる、というのが、本当のところだと思う。そういう特別区の皆さんから見れば、なぜ、わざわざ政令市を廃止してまで、この「歴史の残像」とも言われる特別区をめざすのか。財政上の見通しはあるのか。今回の視察でお目にかかった皆さんも、不可思議な思いをもちながら接してくださったことだろうと拝察する。

視察の最後に、特別区協議会が前回の大阪での住民投票や制度設計を分析してまとめた『「大都市地域特別区設置法」にもとづく特別区制度設計の記録』という分厚い書籍を、各会派に下さった。「今後、特別区制度を検討する際の参考とするため」にとりまとまめられたとのこと。特別区にとって、戦後74年経つ現在でも、特別区制度というものが検討を続けなければならない制度であり、大阪がいったいいかなる議論をしながら、いかなる制度設計をしていたのか、不可思議だからこその労作なのではないか、と複雑な思いでいただいた。

繰り返しになるが、これまで論文等で学び議論も重ねてきた都区制度であるが、その制度のなかで、苦労を重ねておられる方たちの生の声をお聞きできた今回の視察は、たいへん有意義であると同時に、この道に大阪市民を引きずり込むような愚策は、決してとるべきではないということを強く胸に刻んだ視察であった。

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