26日、「もうすぐ大阪市長選! 市民が自分で考える政策ディスカッション」という取り組みに、自民党の北野妙子議員、OSAKAみらいの武直樹議員と一緒に参加させていただきました(主催者は全会派に参加を要請されたそうです)。
気軽にお引き受けしたものの、一昨日、送っていただいた「市民マニフェスト」やタイムテーブルを拝見して少し当惑。多岐にわたるとともにかなり専門的な「マニフェスト」にそれぞれが回答し、その後議員ごとのブースに分かれての質疑応答とのこと。
「試されますね~」と覚悟をしつつ、しかしワクワクして出かけました。
かなり辛辣な質問もありましたが、面白かった~!
これからの大阪市の発展に不可欠だと私が考えている「市民が主人公。住民参加、住民自治に基づく都市内分権」を具現しているような取り組み。
市レベル、区レベル、小学校単位レベルで、いろいろな意見、立場の人たちが、真剣に議論して合意形成し、その意見を市が懸命に尊重し予算や施策に反映させる。“上から目線”の対極をなす住民参加と自治を、全国トップで進めていく。これが大阪市の進む道だと考えます。
こんな取り組みが、ずっと続き、どんどん広がることを願います。
5日、長野県飯田高校同窓会関西支部の総会が大阪で開かれ、約20年ぶりに出席しました。
はるばる飯田市の牧野市長が来阪され(氏も1年先輩の同窓生)1時間の記念講演。人口減少のなかで、人と地域を大切にしながら、産業政策にも力を入れ、自立・持続できる都市をめざして3期目。
ある地域の保育園が園児1人となる見通しになり、市の担当者が廃園の判断を仰いできた時、牧野市長は、「保育園をなくせば小学校もなくなる。小学校がなくなれば地域がなくなる。800年続くお祭りのある歴史ある地域を、自分の代でなくすわけにはいかない」と、地域に若い人を呼び戻し、子どもを増やすために「予算はいくらかかってもいい。何でもやってほしい」と指示したとのこと。現場主義の立場に立った職員の努力で園児が増え始めると同時に、地域を支えるエネルギー産業が育ちつつあるそうです。
都市の規模は違っても、学ぶことがたくさんある講演でした。じっくり、「視察」に出かけたいと強く思いました。
同窓でもある母はほぼ毎年参加の常連さん。オカリナを披露しました。
最後は「校歌」と「長野県歌」の大合唱。いいもんですね。
2015年も半分過ぎ去りました。瞬く間に過ぎた半年。今日から7月です。
夕方、京橋駅で日本共産党大阪女性後援会主催の「戦争法ストップ」宣伝がありました。
レッドカードの意味を込めて“赤”を身に着けて、という指示。滅多に着ない赤のジャケットに着替えて出かけました。
わたなべ結参議院予定候補をはじめ総勢52人、うち城東区から14人。病人を抱えたり、足が痛かったりで、みんな大変なのに、ほんとうに頭が下がります。広いコンコースに思い思いの赤が良く目立っていました。
立ち止まって下さった女性の「小学校2年の時、家を焼かれて大変な思いをした。戦争は絶対にあかん」という声。多くの国民の皆さんに共通する思いでしょう。
若い人たちが立ち止まって署名やシール投票に協力してくれる姿がとっても多くて、頼もしく、嬉しく思いました。
「大阪市をなくさないで」の願いに保守も革新もない、と頑張った大阪のうねりを、今度は「戦争アカン。平和と命が大切」の思いに保守も革新もないのうねりにしていきたい。
今日、6月30日をもって、「都構想」の事務局を担ってきた大阪府市大都市局が廃止されました。府・市合わせて100人近い職員の皆さんは、辞令にしたがいチリジリバラバラにいろいろな部署にいかれます。
控え室にいると、大阪府に戻って行かれる職員さんが数人退任の挨拶にお越しくださいました。これまで見たことのない晴れやかな笑顔の方が多い。
振り返れば、私自身も議会で「まるでGHQではないか」と言ったように、組織のあり方への批判が渦巻くなかでの設置であり、着任でした。
あれから2年余り。
不毛な議論を繰り返し、やむにやまれずキツイ言葉を投げつけたこともありました。こちらも本当に大変な日々だったけれど、この人たちも眠れぬ夜もあったかも知れません。
たくさんの人が、荒唐無稽な絵空事に振り回された傷の大きさと深さ。この痛みを無駄にしてはいけない。
より良い大阪市に変わることで活かしたい。
健康と健闘を願うお別れの挨拶を交わしながら、あらためて思いました。
僅差の勝利から一夜明けて、18日朝、瀬戸団長、わたなべ結大阪府委員会政策委員とともに、淀屋橋でご出勤の皆さんに住民投票のご報告をさせていただきました。
市民を二分した感のある住民投票。でも、多くの人が、大阪市の存在意義、歴史、文化、伝統に思いをはせるとともに、大阪市がどうあるべきかを、みんなが語り、考えた闘いでもありました。もう、破壊や分断、対立に終わりを告げ、市民みんなの力で市民が主役の新しい大阪市をつくるスタートを切りたい。こみあげる思いで訴えました。
大阪市の職員さんもたくさん通られます。
橋下市長が、公務員攻撃を最大の武器にして市役所の長となってから3年半。「市長の顔色を伺って仕事をしろ」と言い放った橋下市長は任期満了をもって政界からの引退を表明しました(信用しないむきがあるのは当然ですが)。“住民全体の奉仕者”という自治体労働者の任務を発揮し、市民が大切にされる市政に向かって胸を張って働ける日が一日も早く来ますように。
夜は地元の報告会。
総選挙、地方選挙、住民投票。途切れのない闘いの日々。しかも今回は普通の選挙運動に加えて、「街かど懇談会」や毎日6駅でのお帰りなさい宣伝、ハンドマイク宣伝、投票日の投票所宣伝などやれること、やるべきことがいっぱい。若いとは言えない集団ですが「この闘いだけは絶対に負けられない」の一心で、文字通り力を振り絞って下さいました。
「高齢の仲間が杖を片手に、あるいはタクシーで、毎日宣伝に参加される姿に涙した」「テレビに勝つためには普段の10倍の活動がいると思って、1人でハンドマイク宣伝を続けた」「住民投票の間は自転車で上がれた橋が、今日は上がれなかった。気がはっていたから出来たんだと思う」などなど、たくさんの苦労話やドラマを聞かせていただきました。闘争本部長をかって出ながら、ほぼ“名ばかり本部長”だったことを恥じ入るばかりですが、本部長の出来が悪かったからこそ、みんなが「ほっておかれへん」と頑張った、ということにしてお許しいただきたいと存じます。
大阪じゅうのあちこちで、こんなドラマや苦労があってこそ、「なにわの市民革命」が成就したのです。みんながヒーロー、ヒロインです。