3日、朝は京阪野江駅からスタート。出来たてホヤホヤのロゴ入り「ストップ都構想」のぼりと一緒に宣伝できるのを楽しみに出かけましたが、段取りちがいでかなわず、ちょっと残念。明日からは出来る限り自分でも持って行けるよう段取りをとった次第です。
数日いろいろいろいろあったうえに、もう告示まで1か月なのに地元でなかなか動けない焦りもあるのでしょうか。今朝、母の「お昼にちょっとくらい休める時間あるの?」という問いに「あるわけないじゃん!」ととってもきつくて冷たい返事をしてしまいました。反省と自己嫌悪です。79歳と52歳でも母は母、娘は娘。なかなか休めず朝宣から夜まで戻らない娘の体を気遣ってくれただけなのに。親不幸な娘です。5月17日の闘いまで乗り切ったら、盛大になごやかに傘寿のお祝いをするからね。ごめんなさい。
心に余裕をもって、家族と仲間に感謝して、笑顔を取り戻して今日も頑張ろうと思いつつ市役所へ。相変わらず「特別区設置協議会だより」の顛末やら、なにやらかにやら。
今日の予算議会の質疑は「維新の会」。午後いっぱい拝聴。ほんとうの改革とは何かを考えました。
午前中は、女性後援会の皆さんと宣伝カー。
スポットをする度に、運転手のSさんが通りかかる方に話しかけては「大阪市廃止・分割」について説得している模様。「関心なかったけど、とにかく反対って書きにいくわ」と言って下さった方も。握手をさせていただき「選挙もよろしくお願いします」。あらゆる形で一人でも多くの方と対話をしなくては。
最後のスポット場所で訴えていると、携帯に娘から立て続けの電話。こんなことは初めて。80歳になる母に何かあったのかと心配で、演説をむちゃくちゃ端折って切り上げコールバック。
「トイレがつまって業者の人に見てもらったら、トイレごと変えんといかんと言われた」。誰かが倒れたとかじゃなくて良かった、とホッ。80歳になるおばあちゃんと2人での対応は心細そうでしたが、新婦人の「大阪市廃止・解体」の学習会を控え、帰るわけにもいかず全権委任。何回か、困惑のメールを寄こしつつほぼ1人で対応をしてくれました。お疲れ様でしたね。というわけで、ボロボロのわが家の、トイレだけがピカピカになりました。
新婦人の2つの班合同の学習会で「大阪市廃止・解体」について報告。「補聴器をつけたのでみんなの声が聞こえるようになって嬉しい」と切り出されたYさん。「会話が出来るようになったから、毎日公園に行ってこの話をします」と言って下さいました。
知って知らせて、知って知らせてを積み重ねていく。地味でも、遠回りでも、これしかない。大きな広がりになるよう知恵と力を。
久々に高校時代の友人と会うと出かけた娘。昨夜11時過ぎに電話をしてきて「止まるから!」と宣言し、今朝は堂々の朝帰り。
カラオケボックスに一晩中おいてもらったそうです。“オール”というそうですね。カラオケボックスもそれほど(全然?)なかった私たちの時代では考えられない夜遊びです。心配もあるけれど、お付き合いを止めすぎるのも・・・と見守るしかない母です。
早朝に帰宅し、「眠たい」と言いつつ、1人1,100円で、ソフトドリンクも飲み放題の安さだったとか、友だちとのやりとりとかをしゃべりつづける娘に見送られ、京阪野江駅の早朝宣伝に。
折からの小雨、途中から本降りになりましたが、地域から5人の参加もあり、気持ちを込めて、新年の抱負をお話しさせていただきました。
「今年は大変な年ですね」と声をかけて下さる方もあり、地方選挙、住民投票、どちらも厳しい闘いですが、やるべきことをやり抜こう、とあらためて思いました。
25日の夜、城東区の学童保育の皆さんと懇談させていただきました。国がすすめる子育て新制度のもとで、市は留守家庭児童対策の条例を作らなければなりません。学童保育が条例化されることは前向きな面もありますが、役割に見合ったものになるのか、不安が広がっています。条例化に向けた意見交換をさせていただきました。
会場はわが娘が通った学童。懐かしすぎて言葉を失いました。
たたずまいは同じでも、関わる人の顔ぶれは変わり、時の流れを実感。
でも、学童保育は留守家庭の子の大事な家、との思いで必死で守りぬこうという気持ちは、まったく同じ。若い指導員が熱く学童を語る姿に感動。
同時に、厳しい運営や、全児童対策との一体化の流れへの不安も、娘がチビさんの頃と少しも変わりません。10年一日のごとく、同じしんどさにさらされている現状に頭を抱えました。
帰宅すると、その娘が作ってくれた夕食が待っていました。家族の嗜好を考え、自分の“これ、食べたい”もしっかり生かして、メニューは、ホイコーロ、アボガドとサーモンのわさび醤油、トマトとモッツァレラチーズのカプレーゼ、ごまどうふ。
時間は確実に流れているのに、時間が止まったままの留守家庭児童対策。時間を前に進めたい!