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辰巳参院議員と懇談、そして初めての天満宮

 27日、午前中は、辰巳孝太郎参院議員が市役所へ。
 始まった国会で国土交通委員として、大阪市の交通の民営化や、下水道や橋などの老朽化対策などを取り上げるうえで、議員団と懇談を、とのことで、幹事団3人が対応させていただきました。
 大阪から送りだした議員が大阪の声を届けてくれる。ほんとうに嬉しいことです。
 
 その後は、親ばかのお話。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA 娘の大学で、松尾芭蕉の句碑を撮影してレポートを書く、という課題が出ていました。
 年末に聞いた時、「母さんも行こうかな。どうせなら足を延ばそうか」などと調子のいいことを言っていました。

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 たちまち日が経ち、明日が提出。なのに、本人は「めんどい」を連発していて危険信号。
 単位を落としてほしくないうえに過保護な母親です。市役所で落ち合って、最も手近な天満宮へと一緒に出かけ、境内を探し回り、めでたく2つの句碑をカメラにおさめて、ついでに娘もカメラにおさめてホッと一安心。まさかこれで「めんどい」とレポートをさぼるようなことはないと信じつつ。
 というわけで、大阪に住んで30年、初めて天満宮に行った次第です。嬉しいデートが出来ました。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

辛さを糧に     箱根駅伝

 新年恒例の箱根駅伝。時間がなかったことと、様々なやりきれない場面を見るのがたまらなくて20年くらい見ていませんでした。
 昨日の復路、なぜか、迷った末に見てみることに。

 横にいた娘は繰り上げスタートやシード権のシステムに文句を言っていましたが、とうとう7区から8区の繰り上げスタートの場面で「そこまで来ているのに、待ってあげたらいいやんか」と涙をボロボロ。

 先に泣かれたら冷静になるしかありません。

 「まあ、ルールだから・・・」

 「そんなルールなんてなんの意味があるの! 大会の側の都合だけやん」と、泣き続ける娘。

 来年、娘が在宅なら、箱根駅伝は見られないでしょう。

 確かに理不尽なルール。放送時間の都合だけなら、終了後も延々と選手にまつわるエピソードなどを放送しているのだから、見直してもいいルールではないでしょうか。

 でもね、のどか。辛い思いをした選手は、きっと強くて大きい人になるんだよ。

 

寒い中、お祭り・大会 それぞれに   生健会・新婦人

KIMG0775守る会 14日、城東生活と健康を守る会のお祭りでした。

 作品展、バザー、おもちつき。いろいろにぎやかに。

 会員さん手作りのミニチュアのお家。こういうの大好きです。買って行け、と勧められましたが、飾る所もないわが家ゆえ、ご辞退させていただきました。金谷作品


 その後、城東新婦人の第29回大会へ。私は、新婦人と同い年。専従してた頃、新婦人30周年、なんて言ってたのに。ほんとうに早いものです、月日の経つのは。

 51歳の新婦人、頑張れ!

 

 今夜、娘は、「行きたくないよう」を連発しながら京都へ出かけて行きました。

 通学先でご縁が出来て、倉林明子参院議員が参加される「働き方を語る会」に誘われたとのこと。そりゃあ、学校がない日に、寒い中わざわざ京都は大変だろうと思い、「行きたくないよう」は好きなだけ言わせておきました。

 数日前、この話を聞いた時、過保護な母としては、帰宅が遅くなるぞ、と胸を痛め、

 「なんやったら付いていこうか?」

 「過保護すぎ! 大学生やで!」

 「母さんも倉林さんの話、聞きたいやん」

 「別の機会にどうぞ!」とキッパリ拒否されました。当然でしょうね。

 いいお土産話を聞かせてくれますように。

 

 娘を見送って、思い切って(?)整骨院に行きました。

 小一時間の治療で、服を着るにも悲鳴を上げていた右手の痛みが、嘘のよう。

 「時々ほぐしに来た方がいいですよ」と先生。

 この程度でほんとうに良かった。時々、寄せていただきます。

今日から大人!  おめでとう!

ケーキ今日は一粒種の誕生日。なんと20歳になりました。

未熟児で生まれ、保育器も経験しました。小さい小さいあの子を残して退院する時、私があまり泣くので「いつでも電話しておいで。様子を教えてあげるから」と、助産師さんや看護師さんが困り顔で言われたことが昨日のことのようです。

20年、たくさんの方に助けていただきました。とくに、保育園の後の時間を過ごさせていただき、わが子のように可愛がって下さったМさんご一家。あのご一家の深い愛情なしには考えられません。20歳の節目に、日頃のご無沙汰を反省しています。

大人としての日々、夢をもって生きられる世の中したい。一緒にがんばってもらいたいなあ。初めての投票は間近。いい思い出になりますように。

父親同伴の修学旅行

就学旅行のシーズン。修学旅行生を見ると、いつも父を思い出します。

長野県の写真館に生まれ育ちました。地元の中学校の写真を一手に承っていた父は、お昼ごろになると毎日のように学校を訪れます。「久保田(私の旧姓)、お父さんが来たぞ!」と、ヤンチャな同級生にからかわれるのは慣れっこでした(なるべく会いたくはなかったけれど)。

でも、修学旅行だけは窮屈だったなー、と、今でも思います。初めて乗った新幹線。その興奮のなかで、チョットふざけかけたとき、父と目があってしまった気まずさを、なぜか鮮明に覚えています。

小さな体、大きな声。厳しくて優しかった。近所のおばちゃんが自分の子に「久保田のおじさんに怒られるからやめときな」と、聞こえよがしに言ったと、腹を立てていたこともありましたっけ。

商売人さんをはじめ、地域の大人の目が、地域の子どもたちを見守っています。地域の力や善意に水を差し、地域の絆を弱める「市政改革プラン」をやめさせなくては。

厨家

 

  昭和13年撮影の我が生家。左から2人目の男の子が父だそうです。

  この父も20年前に亡くなり、家も、先日、取り壊しました。