新年恒例の箱根駅伝。時間がなかったことと、様々なやりきれない場面を見るのがた
昨日の復路、なぜか、迷った末に見てみることに。
横にいた娘は繰り上げスタートやシード権のシステムに文句を言っていましたが、とうとう7区から8
先に泣かれたら冷静になるし
「まあ、ルールだから・・・」
「そんなルールなんてなん
来年、娘が在宅なら、箱根駅伝は見られないでしょう。
確かに理不尽なルール。放送時間の都合だけなら、終了後も延々と選手にまつわるエピソードなどを放送しているのだから、見直してもいいルールではないでしょうか。
でもね、のどか。辛い思いをした選手は、きっと強くて大きい人になるんだ
作品展、バザー、おもちつき。いろいろにぎやかに。
会員さん手作りのミニチュアのお家。こういうの大好きです。買って行け、と勧められましたが、飾る所もないわが家ゆえ、ご辞退させていただきました。
その後、城東新婦人の第29回大会へ。私は、新婦人と同い年。専従してた頃、新婦人30周年、なんて言ってたのに。ほんとうに早いものです、月日の経つのは。
51歳の新婦人、頑張れ!
今夜、娘は、「行きたくないよう」を連発しながら京都へ出かけて行きました。
通学先でご縁が出来て、倉林明子参院議員が参加される「働
数日前、この話を聞いた時、過保護な母としては、帰宅が遅くなるぞ、と胸を痛め、
「なんやったら付
「過保護すぎ! 大学生やで!」
「母さんも倉林さんの話、聞きた
「別の機会にどうぞ!」とキッパリ拒否されました。当然でしょうね。
いいお土産話を聞かせてくれますように。
娘を見送って、思い切って(?)整骨院に行きました。
小一時間の治療で、服を着るにも悲鳴を上げていた右手の痛みが、嘘のよう。
「時々ほぐしに来た方がいいですよ」と先生。
この程度でほんとうに良かった。時々、寄せていただきます。
未熟児で生まれ、保育器も経験しました。小さい小さいあの子を残して退院する時、私があまり泣くので「いつでも電話しておいで。様子を教えてあげるから」と、助産師さんや看護師さんが困り顔で言われたことが昨日のことのようです。
20年、たくさんの方に助けていただきました。とくに、保育園の後の時間を過ごさせていただき、わが子のように可愛がって下さったМさんご一家。あのご一家の深い愛情なしには考えられません。20歳の節目に、日頃のご無沙汰を反省しています。
大人としての日々、夢をもって生きられる世の中したい。一緒にがんばってもらいたいなあ。初めての投票は間近。いい思い出になりますように。
就学旅行のシーズン。修学旅行生を見ると、いつも父を思い出します。
長野県の写真館に生まれ育ちました。地元の中学校の写真を一手に承っていた父は、お昼ごろになると毎日のように学校を訪れます。「久保田(私の旧姓)、お父さんが来たぞ!」と、ヤンチャな同級生にからかわれるのは慣れっこでした(なるべく会いたくはなかったけれど)。
でも、修学旅行だけは窮屈だったなー、と、今でも思います。初めて乗った新幹線。その興奮のなかで、チョットふざけかけたとき、父と目があってしまった気まずさを、なぜか鮮明に覚えています。
小さな体、大きな声。厳しくて優しかった。近所のおばちゃんが自分の子に「久保田のおじさんに怒られるからやめときな」と、聞こえよがしに言ったと、腹を立てていたこともありましたっけ。
商売人さんをはじめ、地域の大人の目が、地域の子どもたちを見守っています。地域の力や善意に水を差し、地域の絆を弱める「市政改革プラン」をやめさせなくては。
昭和13年撮影の我が生家。左から2人目の男の子が父だそうです。
この父も20年前に亡くなり、家も、先日、取り壊しました。