公明に続き、自民が住民投票容認との報道に衝撃をうけているさなか、とてもタイムリーなシンポジウムに参加しました。
4年前の住民投票の際に立ち上げられた「豊かな大阪をつくる」学者の会による、「統一地方選の結果から見た大阪の現状と課題~大阪都=大阪市廃止のリスクを見据えて~」です。
6人の研究者がそれぞれの分野から、大阪市廃止(都構想)そのものの危険や、今回の選挙の分析、反対する側の課題などを縦横無尽に語って下さいました。
維新の会があらゆる手立てで強さを身に着けたいま、大阪市廃止を阻止し、分断と競争の市政から、市民みんなを大事にする市政に切り替える闘いは、まだまだ続きます。今回の首長選のような失敗を繰り返さないためにはどうすべきか、深く考えさせられるお話ばかりでした。
川端祐一郎京都大学大学院助教は、「改革は、幻想とともにあるもの」と題して、「改革」という言葉が好まれる風潮のなかで、
△既得権や旧弊を打破すると称して「敵」と「対立」と作り上げる/△一部の人々の利益にのみ資する制度変更も行われがち/△「改革」の気風が生じると、「変えること」が自己目的化するので、論理のすり替えが行われても気づかれにくい
という「改革」の幻想が起きることを指摘。小泉政権の「郵政民営化」を例に、どんなすり替えが行われたかを紹介されました。「大阪市廃止(都構想)」でも、意図的な情報操作とともに、同様のことが起きていることを痛感。そういうものとの闘いはほんとうに力がいります。
藤井聡京都大学大学院教授は、今回の結果は決して、大阪市民の「都構想」支持ではないと分析されたうえで、「政治家よ、勇気をもて」と一喝。
あらためて、「大阪市をなくさせない」の旗をしっかりと掲げ、たくさんの市民の方と一緒に闘う体制を、一日も早くつくらなければ、と思いました。
癌を患って、4年近く入退院を繰り返していたTさん。2日に旅立たれ、こどもの日に告別式がありました。75歳。早すぎる旅立ちです。
最初の選挙の時から、ずっとずっと支えていただいた、いろんなことが次々浮かびます。特に、最初の落選の後、専従としてお世話になった新婦人で、役員だったTさんに、どれだけいろいろなことを教わり、励まされてきたでしょうか。お元気だったころの素敵な笑顔の遺影に、涙が止まりませんでした。
カラッとして、いつも笑顔だったTさん。いろんな役目を持ちながら、ものすごく丁寧に人と付き合う人でした。後援会ニュースひとつでも、手書きのメモを必ず添えることを続けておられました。
去年の暮れ、病院にお見舞いした時、「口は元気やで」といろんな話をしてくれました。私の母の老いの話になった時、ご自分の親の話をしながら「やってくれなくても困らないようなことでいいから、頼みごとをし。頼られてる、役に立つ、と思うことが大事やねんから」と言われた言葉、ニコニコしたお顔とともに、毎日毎日、思い出しています。
お顔を見たい、と思いながら、まだまだ頑張っていただけると独り決めして、あれが最後になってしまったことが悔やまれて、悔やまれて、よけい涙があふれました。そんな悔いを残さないよう、やろうと思ったことはチャッチャとやりや、とTさんが笑っているような、そんな気がした告別式でした。
地方選挙の後半戦も終わりました。
9人から4人になってしまった議員団。今回涙をのんだ仲間たちは、控室机を返却するため日々書類整理。控室もうんと狭くなるために、私もため込んだ書類などの片づけをしながら、少しずつ心の整理もしています。
厳しい選挙でしたが、何とか押し上げていただいたのは、支持して下さった方はもちろん、この間、宣伝、訪問、後援会員増やしなど、とにかくコツコツコツコツ、頑張り続けていただいている党支部や後援会の皆さんのおかげだと、心から感謝しています。とりわけ、幹事長としてのあれこれや、法定協議会などで市役所にいることが多く、地元を留守にしがちの私です。言いたいことはいっぱいあるでしょうに、逆に「体だけはきをつけて」という言葉、何度いただいたでしょうか。甘え続ける私を、本当に支えていただきました。
非交渉会派となったこともあり、地元でもうんと頑張ることが一番の恩返し、と思いつつ、個人的に運転などで早朝から深夜までお世話になった方たちとお食事。その時いただいた手作りのぬいぐるみ。
昨夜は地元後援会の報告集会。皆さん悔しさはあるものの笑顔と元気があふれていました。
かなりご高齢の方が乾杯の音頭で「4年後もみんな頑張ろう」と言われて、会場がわきました。首長選の結果や、議員団の激減で少ししおたれていましたが、皆さんから元気をいただいて、立ち直りつつあります。
そんななかで、城東区後援会ニュースの紙面で私がいただいているコーナー「ぱわふる通信」が締め切りを迎えました。したためた文章を掲載します。ご笑覧下さい。
いっせい地方選挙、大きなご支援ほんとうにありがとうございました。
日本共産党大阪市会議員団は9人から4人となり、代表質問等を行えない非交渉会派になってしまいました。50数年ぶりのことです。議会での発言に制約があるなかで、「カジノはあかん」「二度目の住民投票はだめ」「市民が主人公の市政を」の声をどう届けるのか、模索、研究しながら、ひきつづき、“命を守れ、くらしを守れ”ひとすじに全力をつくす決意です。どうか今後とも、ご支援とご指導、よろしくお願い申し上げます。
わかりにくい選挙だったと思います。突然のダブル選、しかも知事と市長が取り替えっこ。なぜ、こんな選挙が行われて、なぜ、自民の候補者を日本共産党が推すのか。よくわからないまま選挙に行かれた方もたくさんおられたのではない
でしょうか。
「大阪市廃止・分割(都構想)」や教育などをめぐって、どれだけひどいことがやられているかを、日頃からもっとリアルに多くの方にお伝えしないといけない、と痛感しています。ここからがスタートです。いろいろな形で、市政の実態をお知らせし、多くの人とご一緒に立ち向かう「市民の革命」をめざし、知恵と工夫と努力を重ねます。
府・市の首長と議員の選挙が終わりました。
市長にすべき人を市長にできなかった。
日本共産党市会議員団は9人から4人に。50数年ぶりに交渉会派でさえなくなってしまった。
「おめでとうございます」と言っていただいても、素直に「ありがとうございます」と言えなかった。
でも、激しい選挙を、支え戦い抜いてくれた仲間たちや、支持して下さった方の笑顔が、やっぱり素直に「ありがとうございます」と言うべきなんだと教えてくれました。
長い闘いの一幕。上手くいかない時もある。これで終わりじゃない。
ここがスタート。ここから前進。大阪市をなくさせない。
11日、夕方の今福鶴見駅で「日刊ビラ」を配布中、すてきな青年に会いました。
信号待ちをしながら、宣伝隊とビラに交互に見入っているので勇気を出して声をかけました。橋下さんが好きだという30歳。「橋下さんは好きでもいいけど、選挙はちょっと考えてほしい」と言ってみたら、とっても話がはずみました。たくさんたくさん話をしましたが、一番驚いたのは
「共産党には立ててほしかった。自民党と政策は違うはず」と仰るので「違うところ、たくさんある。でも、大阪市を営利企業みたいにして儲け儲けという維新とは、柳本さんは違う。儲からなくても市民の命・くらしを守る地方自治体を取り戻して、その自治体の運営をどうするのかのケンカをする。ちゃんと議論ができる柳本市長に『その政策は違うでしょ』って詰め寄るのが私の夢」という主旨のことを話したら、「何もかも一緒にやっていくんじゃないんですか⁈」ととっても驚いて「安心した」と言ってくれたこと。
こういう誤解はまだあるのでしょう。たくさんの人と話さなければ。
最後には「考える」と言ってくれた30歳さん。写真を撮ろうと言ってくれたので、本人さんの許可を得て、嬉しい出会いをアップ。また会えるといいな、と思う出会いでした。
今日は、柳本あきら市長候補が、鶴見区のイオン前で街宣、とのことで、区をまたぐとはいえすぐそこ。10人ほどで聞きに行きました。候補者の頑張りをみることは、やっぱり運動の励みです。(柳本さんの後ろに見えるマンションは、20数年前、私が住んでいた懐かしいマンションです)
そして、担い手を増やすにはやっぱり小集会。拡声器をいっさい使えないからこそ、この取り組みもとっても重要です。
今日は蒲生地域。皆さん時間をやりくりしてお集まり下さいました。
少し訴えをさせていただいた後、懇談。バスが減って大変! 国民健康保険料が高すぎる! 橋下市長が教育費を5倍にしたってほんとう⁈ など、やりとりをしているうちにますます維新政治への怒りがこみあげてきます。
みんなの悲鳴と怒りを集めて、必ず勝利を!