9月の4日と5日、財政総務委員会の行政視察で、東京の特別区の現状や課題をいろいろ伺ってきました。
日本共産党大阪市会議員団は、1週間以内に報告書を議長に提出するということにしています。だいぶ遅れてしまいましたが、やっと完成し提出しました。長いものですが、印象に残ったことなどをまとめました。よろしければご笑覧下さい。
2019年度大阪市会財政総務委員会 行政視察報告書
日本共産党大阪市会議員団 山中智子
4月の議員選挙と、無理やり同時選となった知事・市長選挙を経て、大阪では、2015年に実施した大阪市を廃止すべきか否かを問う住民投票が、来秋にも再び実施される可能性が高まっている。そういうなかで、今回、財政総務委員会の視察は、東京における都区制度について、財政調整制度と一部事務組合に絞って視察を行った。
以下、それぞれの項目について、内容と考察を報告する。
[財政調整制度について]
2つの特別区役所(板橋区・千代田区)と特別区長会事務局で、財政調整制度についてお話を伺った。制度のもつ問題点は学び、議論もしてきたつもりだが、財政調整交付金が多い板橋区(30年度は23区中6番目に多い)と、少ない千代田区(30年度は3番目に少ない)双方の財政担当者の生の声は、予想をはるかに上回るインパクトがあった。
事前に事務局を通じて、
といった質問が両区に届いており、両区とも、一般的な制度解説ではなく、これらの質問に率直に答えることを重視して下さり、ありがたかった。
板橋区の小林緑政策経営部財政課長は、「財政状況と課題」について、日ごろの思いを吐露するように、
・千代田区や港区など中心区との格差が大きすぎる。民生費が6割を占める板橋区の現状を訴え、財政調整にそういう点を反映することを望んでも、中心区の要望とはぶつかりまとまらない。23区がまとまらなければ“強い都”と渡り合えないので、根本のところは黙っている。
・結果、財政が硬直化し、必要な施設の更新が困難になるし、産業振興への投資も進まない。中心区は国や都の投資もあって開発が進むが、周辺区は産業振興等に投資する財源は出てこない。
・課題も多い制度ではあるが、都区財政調整制度ではなく、国の地方交付金を受けると想定すると、都区財政調整の交付金の方が多いだろう。やはり、都の財源があるからこそ出来ること。逆に、大阪はその財源はどこから持ってくるのか聞きたいと思っていた。
・(地域の実情を踏まえた板橋区独自の住民サービスはあるか?との質問に答えて)中心区はともかく、周辺区はそんなこと出来ない。横並びである。
など、お話しくださった。区財政の窮屈さとともに、大阪の制度設計への率直な疑問が飛び出したが、当然の疑問だと思った。
一方で、千代田区の中田治子政策経営部参事は、
・都区財政調整制度は、さまざまな歴史からたどりついたものでせめぎあいの歴史。そもそも区の権限が制限され、決して都と対等ではないなかで、「権限をいただく」という立場でやってきた。
・千代田区にとっては、財政調整制度は頼れるものではない。45:55の配分について「何を積んで都が45なのか内訳がわからない」状況や、年度によって変動はあるものの、市町村の基幹税目である固定資産税、法人住民税約3000億円を都にもっていかれ、31億円(?)しか戻らない状況である。千代田区は、千代田市となり、千代田だけでやりたい。そうすれば、85万人の昼間人口に対するサービスや、老朽化する大規模インフラの更新などがもっと出来る。しかし、長い歴史のなかで23区の仲間でもあり、“二重外交”という感じだ。
・昼間人口の多い千代田・港など中心区は、財政調整に昼間人口を反映させてほしいと考えるが、23区の中では少数派であり、こうした要望ははねられてしまう。
・千代田区も自主財源の豊かさだけで財政を運営しているわけではなく、委託等で職員を削減するとともに、PTA研修などの事業の廃止・休止・見直しをするなどの経費削減を行ってきた。同時に、23区一律だったNTTなどの地中埋設物の使用料について、地価を反映したものへの見直しをかちとり、使用料・手数料収入が60億円を超えるようになるなど、歳出抑制、歳入確保につとめてきた。そういうなかで、千代田区は子ども費を増やし、学童クラブの設置や充実などの独自のサービスを行い、人口が3万人台から61,269人(昼間人口は853,068人)へと増えている。
以上のように、財政調整交付金の多寡という点では対照的で、財政状況や課題も大きく異なる板橋区と千代田区が、財政調整制度に共通の問題を感じていることがわかる。そして、そのことは特別区長会事務局でお話を伺って、いっそう整理できたのではないだろうか。
第一に、財政調整の配分割合という最も肝心な点で、都が45%とする内訳問題は解決していない(ブラックボックスである)、と両区でも特別区長会事務局でも、全員の方が言われた。特別区側が求める45%の根拠を都は示さない。かつて3回、都が行っている事務のうち市町村事務は何か、と分析したが、都の主張と区側の主張にズレがあり、決着をみていない。
この問題について、志賀特別区長会事務局は、大阪の制度設計は事務事業を分けたうえでの財源配分なのでうらやましい、と言われた。専門家に限らず、市民のなかでもそういう解釈・理解があり得るということを心にとめておく必要があろう。
第二に、特別区長会事務局では、この財政調整制度について、「取り合いが宿命」だと言われた。たとえば、今般、児童福祉法改正で特別区に設置可能となった児童相談所の運営経費など、特別区側が財政調整に反映させるべきだとする事務を、都は言を左右にして財政調整には反映させない。こうした争い・議論が果てしなく続く、都と特別区の「取り合い」がある。
同時に、昼間人口への対応(中心区)や社会保障需要への対応(周辺区)など、特別区の意見がバラバラな条件を財政調整制度に反映させることはできず、大きな配分の変更がないなかで、結局、特別区同士でも「取り合い」にならざるを得ない。
第三に、大阪の制度設計案で、東京の特別区制度より優れたものとして、また前回のバージョンアップと称して、財政調整で府と特別区がもめた時の「第三者委員会」が盛り込まれているが、その必要性については両区とも、「まず23区の主張が一致しないので、第三者機関があっても、おりあえないだろう」などと、完全に必要性を否定された。
第四に、両区でも特別区長会事務局でも、「いずれも交付団体である大阪府と大阪市で、この財政調整制度をめざすことをどう見るか」という、他団体に質問するのはいかがなものか、とも思われる質問が出た。千代田区の中田参事は「イメージできない」と言われ、特別区長会事務局では「区に配れるだけの財源が確保できるか」だと言われた。
第五に、特別区長会事務局では、「この制度のメリットは、大都市地域としての一体性であり、デメリットは、自治体としての独自性をもてないこと」といわれた。大阪市廃止・分割推進派の言う「地域の特性をいかしたサービス」「ニア・イズ・ベター」は完全に破綻しているとしか言いようがない。
[一部事務組合について]
大阪の制度設計案では、廃棄物処理は特別区の事務とし、すでに設置されている広域組合に特別区が参加するというものになっており、清掃の一部事務組合の説明聴取は参考にならない気がして、あまり興がわかないというのが事前の正直な気持ちだった。
しかし、清掃事業の移管は、都の内部団体にまで成り下がった特別区が、自治権拡充に取り組み、一つの画期となったH12年の「都区制度改革」の象徴のようなものであるとともに、その後の曲折が示唆にとんだものでもあり、大変興味深くお話を伺った。
従来、ごみの収集・運搬・処理・処分は都が行ってきたが、自治権をめぐる運動の中で「住民に身近な廃棄物処理さえ出来ない基礎自治体はありえない」とする国の意向もあり、H12年に特別区に移管された。そして、ごみの収集・運搬は各区で実施することとなったが、焼却などの中間処理は、施設がない区もあることなどから一部事務組合を設置し、共同処理することとなった。
当時は、近い将来の自区内処理を掲げ、焼却施設のない特別区は建設し、H17年度中にはこの一部事務組合は解散するという計画だったとのこと。私自身、ちょうど都区制度改革の頃に、豊島区が新設した豊島清掃工場の視察に伺った記憶があるが、そのように移管にあわせて新設した区や、それ以降に設置した区もある。
しかし、中心区の用地確保の困難さに加え、その後のゴミ量の減少などもあり、現在は自区内処理にはこだわっておられないようだ。
それには、20年近く一部事務組合で実施してきて、工場のある区とない区の負担感の差や、区の独自性が発揮できないことや区の細かな要望には応えられない、というデメリットはあるものの、建て替えやメンテナンスで2~3工場運転を停止しても補完しあえる、工場数が多く複数のプラントメーカーと関わるので、特定のメーカーの言いなりになることがない、などなどのメリットも多く、当初の一部事務組合の解散という課題は、手放しておられるように拝聴した。
本市を含め、廃棄物処理を単独で行ってきた団体が、ごみ減量への対応や効率的な施設整備という観点から、広域的な処理に移行し、新たに一部事務組合を設立する時代である。東京二十三区清掃一部事務組合が培ってきた廃棄物の中間処理という、きわめて住民に身近であるとともに、施設の存在が住民にとって必ずしも歓迎すべきものではないゆえに、施設のある、なしの負担感の差が大きい事業を、どう共同処理するのかというノウハウは、おおいに学ぶべきものがあるのではないか。
同組合は、S25年の地方公務員法の交付により義務付けられた人事委員会を共同処理するためにS26年に設立された。当初の名称は「人事事務組合」である。その後、生活保護法に基づく更生施設等の設置・管理を共同で行うことになり「人事・厚生事務組合」に変更された。いずれにしても、介護保険から情報システム管理、民間の児童養護施設や生活保護施設の設置認可、指導、助成、さらには、公立の福祉施設、市民利用施設、斎場、霊園の管理等にいたるまで、府が欲しがらず、特別区に分けることのできない事務をすべてぶちこむ大阪の一部事務組合とはまったく異なる限定的なものであることを申し添えておきたい。
同組合の副管理者であり、特別区長会事務局長でもある志賀徳壽氏は冒頭の挨拶で「組合は、自治権拡充の歴史なくして語れない」とおっしゃった。そして、「一定結実したH12年の都区制度改革から20年経つが、いまだにさまざまな課題がある」と、自治権獲得がいまだ道半ばであることを強調された。私なども「半分自治」「半人前の自治体」と表現しているし、特別区が特別に権限の制限された自治体であることは認識しているが、長年にわたって特別区側で生き抜いてこられた方のこうした課題の提起は、あらためて重く受け止めた。
人事に関して、一部事務組合で行うことのメリットは、やはりスケールメリットとのこと。幼稚園や保護施設など採用数の少ない職種の採用や訴訟への対応には23区という規模が必要であるし、採用や給与などの条件を各区バラバラに行えば、人気の偏りが必ず出る。さらに、国や政令市と併願する人も多いなかで、特別区を選んでもらい質の高い職員を確保することは、バラバラでは無理だ、とのことだった。一方のデメリットは、給与や昇進などを統一した基準で行わざるを得ず、各区の自由度が制限されることとのことだった。
メリットは一体性からくるスケールメリットであり、デメリットは各区横並びであること。財政調整であれ、一部事務組合での事務であれ、結局これにつきるし、それは当然なのだろうと思う。
人事だけでさえ、メリット・デメリットのバランスをとりながら運営されているのに、大阪の制度設計の膨大な一部事務組合を、いったいどう運営しようと考えているのか。また、東京でさえ、特別区がバラバラに採用等を行えば、職員を確保できない、と断言しておられるのに、大阪の制度設計案では、各特別区となっている。給与も各区バラバラということになれば、いったいどんなことが起きるのか。職員が確保できないような事態に陥ったとき、住民にかかる計り知れない迷惑の責任はいったい誰がとるのか。東京のお話を伺えば伺うほど、現実を見ず、“副首都にふさわしい”とか“広域機能の一元化”とか“ニア・イズ・ベター”などとお題目をとなえ続けることの無責任さに気づいてほしいという思いがこみあげた。
今回の視察で、「せめぎあいの歴史」「バランスをとるのが難しい」「妥協の産物」「二重外交」といった表現を何度も聞いた。戦中に「帝都防衛」と称して強行されて以来の長い歴史があるからこそ、このせめぎあいながら、バランスをとり、苦労して妥協の産物を生み出す歩みを止めるわけにはいかないということだ。
戦後74年間、自治権拡充の運動を永永と行ってなお、一般市にも満たない権限しかない特別区。それぞれが一般市となり連携、協力していく、という望ましい方向性をもったものの、国も都も認めるはずがない。結局、この都区制度のもとで、少しでも自治権拡充、権限や財源の確保、都との対等の関係確立を求め続けるという現実的な対応に苦労しておられる、というのが、本当のところだと思う。そういう特別区の皆さんから見れば、なぜ、わざわざ政令市を廃止してまで、この「歴史の残像」とも言われる特別区をめざすのか。財政上の見通しはあるのか。今回の視察でお目にかかった皆さんも、不可思議な思いをもちながら接してくださったことだろうと拝察する。
視察の最後に、特別区協議会が前回の大阪での住民投票や制度設計を分析してまとめた『「大都市地域特別区設置法」にもとづく特別区制度設計の記録』という分厚い書籍を、各会派に下さった。「今後、特別区制度を検討する際の参考とするため」にとりまとまめられたとのこと。特別区にとって、戦後74年経つ現在でも、特別区制度というものが検討を続けなければならない制度であり、大阪がいったいいかなる議論をしながら、いかなる制度設計をしていたのか、不可思議だからこその労作なのではないか、と複雑な思いでいただいた。
繰り返しになるが、これまで論文等で学び議論も重ねてきた都区制度であるが、その制度のなかで、苦労を重ねておられる方たちの生の声をお聞きできた今回の視察は、たいへん有意義であると同時に、この道に大阪市民を引きずり込むような愚策は、決してとるべきではないということを強く胸に刻んだ視察であった。
12日、大阪市廃止を議論する法定協議会の第26回目が行われました。
4月の選挙結果をテコに、来秋住民投票のスケジュールありきで、どんどん日程がこなされて、制度案がつくられそうな雰囲気。足枷になるような意見は「建設的でない」と排除して。どれだけ議論してもしたりないほどの改変なのに。
設置コストを抑えるために、区長と区議会と危機管理と政策企画さえ特別区にあればいい。現在の市役所を皆が使えばいい、みたいなことを知事を筆頭に言い出している。だったらなんのために分割するのか。ほんとにそんなことでいいのか。一からの議論をしないといけないのに。
このまましゃんしゃんと決まっていくのか。
怖い・泣きたい・胃が痛い
でも、そんなこと言ってはいられません。住民投票は不可避だと覚悟して、一日も早く、「大阪市をなくすな!」の草の根の動きを広げなければなりません。
各会派が意見表明や修正提案を、という時間に、私が行った意見表明をアップします。少し長いですが、ご覧いただけたら幸いです。
わが党の意見は、6月21日の第24回法定協で申し上げたことと基本的に変わるものではありません。
すなわち、大阪市を廃止して、428もの事務事業を大阪府に移管しても、個々の事業の財源も権限も大きくなるわけではなく、それらのいわゆる広域的な行政が進むものでも、よくなるものでもないということです。例えば広域インフラにしても、いつにかかって国頼みというか、国の意向次第であり、府市が一つになったとしても、スピーディに物事が進むなどということではありません。それに、淀川左岸線もなにわ筋線も、良し悪しは別にして動き出している状況の中で、これ以上何を進める必要があるのかということでもあります。要するに、大阪市廃止・分割の結果、出来上がる大阪府は、実の伴わない、図体だけは大きくなるけれども、従来の広域機能に、大阪市域のみの消防・下水など、大阪市域の基礎自治機能をも取り込んだ、まことにいびつな体制になるということです。ともかく、大阪府の中に、府と並び立つ大阪市という政令市があることが問題であるかのような議論がありますが、とんでもないと思います。そんなことをいっていたら横浜や名古屋、神戸なども解体しなくてはならなくなってしまいます。申し上げるまでもなく、広域行政は府の責任です。大阪市廃止うんぬんの前に、大阪府がその固有の責任を果たすことこそ先決だと思います。
そうしてつくられる4つの特別区についてですが、市町村の基幹税目である固定資産税や法人市民税などを府に移管させられるとともに、街づくり・都市計画の権限すら喪失するなど、財源、権限ともに一般市にも及ばない、まさに半人前の自治体に成り下がるということです。
そもそも、東京特別区がつくられたのは、1943年、S18年、戦時下の非常事態の中、時の東条内閣によって帝都防衛のためと称して強行されたものです。そういう成り立ち故に、戦後74年、長きにわたる自治権拡充にもとりくんでおられますが、やっぱり、特別区を廃止して、せめて一般市にという運動が続けられていることは、まことに教訓的だと言わなければなりません。しかも、今や政令市は20市にも及び、一定の人口を有する基礎自治体なら我先に政令市に名乗りを上げようとする中で、その当の政令市を返上しようとするなどということは、とても常識では考えられない、文字通りの愚挙というほかないと思います。その上、4つの特別区に分割することによって、330人の職員増やシステム運用経費の増などに加え、庁舎建設やシステム改修費用など、膨大なイニシャルコストを要して、勢い住民サービスはカットせざるをえなくなるということで、市民にとって百害あって一利なしであり、一貫して申し上げているように、大阪市廃止・分割には私たちは反対です。そのための住民投票にも賛成できません。
尚、前回第25回の法定協議会で嘉悦学園の報告書に対する質疑をごく短時間行ったところですが、改めてもう少し補足的な意見を述べたいと思います。
前回も申し上げた通り、嘉悦学園の報告書は、人口50万人程度で1人当たり歳出額が最小となり、以後、人口が増えるにしたがって1人あたり歳出額も大きくなるといういわゆるU字カーブを描くとする研究理論を、立証するものとはなっておりません。それは、前回お示ししました、東京特別区の、人口と1人当たり歳出額との関係を見ればはっきりいたします。人口50万人の江東区が37万円に対して、72万人の大田区、73万人の練馬区がそれぞれ35万円、91万人の世田谷区にいたっては31万円と、江東区より6万円も低くなっています。まったくUにはならない。U字カーブは立証されていません。むしろL字だといえると思います。確かに人口の大きい大都市では1人当たり歳出も多くなるという傾向は一般的に見られるといえなくもない場合もあるようですが、それは、比較的物価が高く、したがって人件費等行政コストが大きいがゆえであって、それとてU字を描くようなものではないことは報告書にも示されている通りです。ましてや、都市を分割して人口を減らしたからといって、物価が下がるわけでもなし、1人あたり歳出が大きく低減するなどということは考えられないことです。
そのうえ、嘉悦学園の報告書には、比較すべき数値に誤りがあるということがはっきりしました。理論値は全市町村の2016年度決算ベースで算出しているにも関わらず、比べるべき大阪市の実績値は、2016年中核市相当の予算という具合。正しい数字で比較するなら歳出削減の可能性どころか、これ以上削減する余地などまったくないということがわかるわけです。
今回、中核市11市と大阪市の中核市並みの歳出実績値、いずれも公債費、扶助費を除いたものですが、これを比較してみました。大阪市の、今申し上げた、中核市並みの1人あたり歳出実績値は22万7000円です。人口57万人の八王子市では、19万6000円で、大阪市と比べ少し低くなっているものの、人口53万人の姫路市が25万1000円、人口45万人の尼崎市が23万3000円と、逆に大阪市より少し高くなっている、というふうに、全体としては、大阪市とこれら中核市の間にはほとんど差異がないということが見てとれると思います。人口270万人と、これら11市と比べて、突出した人口を有する大阪市において、かくのごとしであり、4つの特別区に分割すれば、年1千億円もの歳出削減の可能性が生ずるとする嘉悦学園の報告書がいかに現実から遊離しているものであるかということです。
ともかく戦後、地方自治体の合併はあまたありますが、分割は1例もありません。合併の場合は、スケールメリットが働くので、初期コストの回収に要する一定の年数がたてば、一人あたり歳出はある程度、自然にというか、そう無理なく減らすことができることは確かだと思います。2つの自治体を一つにすれば、庁舎も2つから1つにする事も出来るでしょうし、各種行政委員会も2から1に、職員も、首を切るということは出来ませんが退職不補充で一定年数たてば、減っていくということになろうかと思います。もちろん、首長も2人から1人、議員も定数を減らすことができるということで、行政水準を落とすことなく歳出を削減できる。これは現実的に理解できる話です。その点、大阪市を4つの特別区に分割する場合は、庁舎の数も増えるし、各種行政委員会等も1つから4つに、職員も少なく見積もっている素案でさえ330人増えるし、首長も1人から4人に、議員も近隣中核市並みにすれば、148人増えるというように、スケールメリットが失われて、一人あたり歳出額は確実に増えるということになり、結局、行政水準なり市民サービスを落とすことなしには歳出を削減することはできないわけです。
いやいや、ニアイズベターで住民サービスが取捨選択されて、歳出の適正化が行われるはずだと言われますが、確かに行政区単位でみると高齢者比率の高いところとそうでないところ等があるし、コミュニティバスなど交通アクセスの拡充を切望するところ、子育て施策の拡充を要求するところ等ありますが、しかし、4つの特別区単位でみると、余り大きな差異はみられませんし、国との関係などから考えても、制度的なものや大枠の施策を大きく減らすことは難しいと思います。結局、特別区長が作為的に、これまで市独自で実施してきたもの、例えば敬老パスとか、塾代助成などの施策をカットする以外に歳出削減は出来ないということです。
以上の通り、4つの特別区に分割しても、歳出削減にはつながらないうえに、むしろ逆にコストが増えて、住民サービスをカットせざるをえなくなる。市民にとって何一つ良いことはない、というのが私たちの意見です。
今回は、去年、1000万円もの税金を払って嘉悦学園に委託した「経済効果報告書」について、嘉悦学園が出席して質問に答えていただきました。
報告書が提出されて、市会の大都市税財政制度特別委員会でかなり議論をした結果、余りにも恣意的で、維新の会以外全会派が、「法定協議会での議論に耐えられるようなものではない」と、いわば受け取りを拒否していたものです。1年以上たって蒸し返され、議論しなければならない羽目になったダブル選後の状況の変化を憂いつつ質疑の準備。たった9分の持ち時間なので大慌ての質疑になりました。
報告書の一番のウリは、「基礎自治体の1人あたり歳出は、人口50万人が最小で、大阪市は多すぎて非効率。特別区に分割したら50万人に近づくので歳出削減ができる。その額、年1100億、10年で1兆円。」ということです。
でも、50万人が最小、などという研究は普遍的なものではまったくありません。同時に、そういう説をとっている学者も、そうなるのは、50万人以上ともなれば大都市で、昼間人口への対応や物価・人件費などの高さなど、“都市化”による歳出の増だとしています。それならば、大阪において、大阪市を廃止し分割しても、都市でなくなるわけではなく、物価が下がるわけでもなく、歳出が減る道理がありません。
6月21日に、大阪市廃止構想(いわゆる都構想)の第24回法定協議会が開かれました。選挙後最初なので、各会派がスタンスの表明。選挙前との様相の変わりように、覚悟していたとはいえ異次元に来たのかと思ってしまいました。20人のなかで、たった1人で「大阪市廃止反対、当然二度目の住民投票も反対」と言い続けていかなければならないようです。もっとも今日も今井会長は「この協議会は協定書をつくることを目的にしているので、職責をわきまえるように」と発言。議論の結果、協定書をつくらないという結論に達しても問題ない、という法のたてつけを無視して、反対者の口を封じるやり方。いつまで私をおいてくれるかしらん。「出ていけ」と言われたら、また闘わなければなりません。
なんでいつまでもこんなことを・・・という思いはぬぐえませんが、与えられた使命とチャンス。他の会派がどんな態度をとろうと、ダメなものはダメです。「大阪市をなくさないで」「もう住民投票はごめん」の声を懸命に届けていきたい。
21日の法定協議会で発言した、議論に臨む上での日本共産党の立場を、以下に掲載させていただきます。
※ 2年近くの法定協議会の議論を通じて、各会派からさまざまな問題点、市民にもたらされるデメリットが指摘され、この大阪市廃止構想、いわゆる都構想の本質が明確になったと思います。そしてこれに基づく私どもの考えも幾度となく表明してきたところであって、今日、この時点においても、いささかも変わるものではありません。
※すなわち、大阪市を廃止して広域行政を一元化するとしているわけですが、消防、水道、下水道等、広域行政の範疇に入らない多くの基礎自治体本来の仕事も含めて、実に428もの事務事業を府に移管させるものの、事業の中身も予算も権限もなんら変わるものでも、良くなるものでもありません。つまり、ここにあるのは、ただただ大阪市の解体のみということです。
もとより、大阪の経済がよくなる道理はありません。
※ そして、こうして大阪市を解体した上で設置される特別区たるや、権限も自主財源も大きく損なわれ、およそ一般市にも満たない半人前の自治体に成り下がると同時に、庁舎建設やシステム改修など膨大な初期コストがかかるとともに、職員増などによりランニングコストが増えることも明らかになっています。その上、いざ、本当に大阪市を廃止しようとすれば、具体の作業は途方もないエネルギーを要します。庁舎の場所の選定から建設、財産などもろもろを実際に分割する、各特別区の条例の制定、庁舎移転等々、今の副首都推進局の体制ではとてもできないほどの労力ではないかと思います。さらに、住所の変更等による市民負担なども考えれば、この上ないムダといわざるを得ません。結局、住民サービスは良くなるどころか悪くならざるを得ません。
※ 言うまでもなく政令市は今や20市に及んでいます。一般市から中核市への移行も進んでいますし、府県からの権限委譲など、地方分権は時代の流れです。それに東京23区では、特別区廃止の運動が根強く続けられていることも想起すべきです。いずれにしても、大阪市廃止、特別区設置は最大の地方自治破壊にほかならないのであって、私たちは都構想には到底賛成できませんし、当然ながら、住民投票にも反対です。
※なお、今度の選挙で、大阪市廃止賛成の民意が示されたとの議論が一部にありますが、私たちはこれに与することはできないということを申し上げておきます。
今度の選挙では、「大阪の成長を止めるな」「自民党から共産党まで馴れ合い、野合だ」といったフレーズがもっとも大きく喧伝されていたという印象があります。もちろん、子育て支援などの政策が一定評価されていることは否定できないことではありますが。ともかく、大阪市廃止構想、いわゆる都構想について、大阪市民の明確な民意が示されたのは、2015年の住民投票が唯一だということをあらためて申し上げ、発言を終わります。
地方選挙・ダブル選挙から2か月。
大阪市廃止・分割(いわゆる都構想)が、またまた動き出してしまいました。
6月3日~5日に開かれた初委員会には、さまざまな陳情が寄せられました。4年ぶりに財政総務委員会に戻った私は、大阪市廃止・分割(いわゆる都構想)について寄せられたたくさんの陳情について、すべて採択を求めました。そして、メディアに対して、「大阪市がなくなる」などの真実を正確に報道するように大阪市が要請することを求める陳情を中心に質疑しました。
「いわゆる都構想では大阪市がなくなる」という事実をまだご存じない方がおられます。4月の選挙では、市長候補だった松井現市長が、街頭で「都構想は大阪市がなくなるとかいう話ではありません」と訴えるなど、市民をごまかす発信も行われています。
大阪市がなくなる、という肝心のことをはじめ、デメリットももっと正確にわかりやすく市民に伝えるべきだ、と副首都推進局に求めましたが、「わかりやすい発信につとめている」の一点張り。いったいどれくらいの人が大阪市が廃止されることを認識しているかの調査を求めても、「やらない」の一点張り。知事や市長の主張ばかりを発信する広報がまた続きます。今年度、「法定協議会だより」などの広報に、3000万円近い予算が計上されています。いつまでこんなことに貴重な税金と時間とエネルギーを費やすのでしょう。
そして、今日は法定協議会の代表者会議で府庁へ。当選者4人で非交渉会派となり、法定協議会も無理かと思いましたが、計算上、参加資格があるとのこと。引き続き、法定協議会のメンバーとなりました。議会人としてモノを言える場を与えられることは喜ばないといけません。
とはいえ、政局のみで左右されている現状や、「大阪市廃止・分割反対」の立場の委員が、どうやら20人中たった3人になりそうな状況など、勇躍して出向こう、という気分にはなれないのも事実です。
でも、「大阪市をなくさんといて」と願うたくさんの市民の方の声を、この少数派が力の限り代弁するしかありません。協議会の場ではどんなに少数でも、たくさんの市民とともにいることを、お腹の真ん中にすえて、堂々と頑張っていきたいと思っています。
公明に続き、自民が住民投票容認との報道に衝撃をうけているさなか、とてもタイムリーなシンポジウムに参加しました。
4年前の住民投票の際に立ち上げられた「豊かな大阪をつくる」学者の会による、「統一地方選の結果から見た大阪の現状と課題~大阪都=大阪市廃止のリスクを見据えて~」です。
6人の研究者がそれぞれの分野から、大阪市廃止(都構想)そのものの危険や、今回の選挙の分析、反対する側の課題などを縦横無尽に語って下さいました。
維新の会があらゆる手立てで強さを身に着けたいま、大阪市廃止を阻止し、分断と競争の市政から、市民みんなを大事にする市政に切り替える闘いは、まだまだ続きます。今回の首長選のような失敗を繰り返さないためにはどうすべきか、深く考えさせられるお話ばかりでした。
川端祐一郎京都大学大学院助教は、「改革は、幻想とともにあるもの」と題して、「改革」という言葉が好まれる風潮のなかで、
△既得権や旧弊を打破すると称して「敵」と「対立」と作り上げる/△一部の人々の利益にのみ資する制度変更も行われがち/△「改革」の気風が生じると、「変えること」が自己目的化するので、論理のすり替えが行われても気づかれにくい
という「改革」の幻想が起きることを指摘。小泉政権の「郵政民営化」を例に、どんなすり替えが行われたかを紹介されました。「大阪市廃止(都構想)」でも、意図的な情報操作とともに、同様のことが起きていることを痛感。そういうものとの闘いはほんとうに力がいります。
藤井聡京都大学大学院教授は、今回の結果は決して、大阪市民の「都構想」支持ではないと分析されたうえで、「政治家よ、勇気をもて」と一喝。
あらためて、「大阪市をなくさせない」の旗をしっかりと掲げ、たくさんの市民の方と一緒に闘う体制を、一日も早くつくらなければ、と思いました。